江戸時代の通訳者の姿を紹介します。
日本における通訳の歴史は古く、江戸時代に既に「通詞」が制度として存在していました。
江戸幕府は長崎を直轄地として長崎奉行をおきましたが、その下に通訳・外交・貿易の実務を担当する地役人がおかれ、それが「唐通事」「阿蘭陀通詞」などと呼ばれました。
「唐通事」は中国語を専門にする通訳者のことであり、「阿蘭陀通詞」はオランダ語通訳者のことです。
当時の通訳者は、長崎で採用され、長崎奉行の管轄下で職務についていた地方公務員でありました。
次に、職務内容が通訳業務にとどまらず、翻訳はもちろんのこと、外国船来航にあたっての業務、貿易に関わる業務など多岐にわたり、中央から赴任する長崎奉行の外交・通商上の諮問を受けたりもしました。
さらに特筆すべきは、公的な職種として階級が設けられ、レベルごとの定員が決まっており、昇進試験もありました。
そして通詞をつとめる家が定められ、代々、男子がその職を継ぐ世襲制度をとっていたことです。
正規の通詞が地方公務員であったことは、通訳の規範を考える上で見逃せません。
現代の通訳倫理は公平を旨とし、中立性と守秘義務は当然のことと考えられています。
しかし、この常識は長崎通詞には通用しないことになります。
彼らが職務上問われるのは、地役人として長崎奉行、ひいては江戸幕府への忠誠であったと言えます。
中立ではなく、あくまで幕府の地方役人としての立場で通訳を行い、それが幕府にとって必要なことなら秘密保持にもこだわらないことになります。