第二次世界大戦後の通訳者の姿を紹介します。
現代的な通訳業について語る上で、国際会議の増加と、それに伴う会議翻訳者の誕生は重要なポイントになります。
同時通訳が始まったのは第二次世界大戦後のニュールンベルグ裁判においてであり、日本では戦後、米国大使館での通訳を務めた西山千氏が独自に同時通訳方式を考案したり、米国国務省で訓練を受け日本からの視察団の同行通訳を務めたグループが帰国後、サイマルという会社を設立したり、ということがその始まりです。
現代の通訳は、世襲制度は採っていませんし、地方公務員ではなくフリーランスが主です。
ランクについても、通訳検定の等級か、通訳派遣会社が価格ランキングを設けている程度で、定員などありません。
通訳以外の業務が入るというのも、企業内通訳の場合はあり得ると思いますが、どちらかと言えば、放送通訳や法廷通訳など各種の通訳業に特化しつつあります。
通訳倫理については、会議通訳を含めて一般的に中立、守秘義務が基本です。
オーストラリアなど多民族社会でのコミュニティー通訳においても、厳密な規範が定められています。
しかし、最近になって、たとえば移民という少数グループの通訳をする際に単純に中立を保つことが良いのか、という疑問が出てきています。
通訳者が「中立」を保つことで、結果として「権力者」の側に立つことになり、マイノリテイーの権利を擁護できないのではないか、という反省です。
又、「中立」であることは、黒子に徹し、透明な存在であることを意味しますが、通訳者が介入して解説を加えることを回避することが果たして真のサービスになるのか、という問題も出てきています。
文化的な解説を適宜加える「文化の仲介者」としての役割まで責任範囲に入れるべきかどうか、という議論です。
制度としての規範が確立していた阿蘭陀通詞時代と異なり、これからの通訳者は難しい判断を迫られることになりそうです。